コレクティブハウスに暮らしたい【中野チーム】の紹介

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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一生の中で、他人と関わる暮らしもいいと思った
●岩本夫妻(20代中野在住・建設関係会社勤務)
「新興住宅街で育ちました。最近、実家に帰って挨拶するご近所さんがいないのは寂しいと思って。下町の雰囲気のある中野は、私たちにとても魅力的。住まいは、賃貸か分譲という選択肢だけではなく、コレクティブハウスという暮らしもあると考え始めました。この町で子育てしたい」

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周囲と協力しながら子育てする暮らしに期待
●藤村ファミリー(30代中野在住・中間支援NPO勤務)
「もうすぐ2歳になる息子と、できるだけ長く過ごしたい。共働きで、核家族の私たち。コレクティブハウスなら、周囲の人たちと協力して暮らせるのでは…という期待と希望があります。都心に近いのに、庶民的な雰囲気のある中野は気に入っています」

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第二のふるさとで、助け合いながら子育てしたい
●内海ファミリー(40代中野在住・舞台関係の仕事)
「大阪のベッドタウンで(夫)、地縁血縁を問わずに助け合う南九州で(妻)育ちました。中野は住みやすく第二の故郷だと思っています。近所のおじちゃん、商店街のおばさん、お隣さん…いろんな大人と接しながら、子どもがどんなふうに成長するのか、今から楽しみです!!」

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懐の深い中野で、地元暮らしを味わいたい
●飯塚さん(40代練馬在住・ソフトウエア会社勤務)
「祖父母の家がある杉並がしっくりきて、ずっと中央線沿線に住みたいと思っていました。社会人になって、渋谷、本郷など都内のあちこちに住んでも、生活という実感はあまりなくてどこも同じような。僕を受け入れてくれそうな中野で、地元の人たちと関わって暮らしてみたい」

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暮らしやすい町で、地域の拠点づくりを
●鷲野さん(40代練馬在住・編集校正者)
「以前は娘と住んでいましたが、独立したのをきっかけに。人や建物、緑など住環境や町のサイズがちょうどいい練馬や中野、杉並周辺に住みたいと思っています。単身でもファミリーでも、自分の生活を尊重して、地域の拠点づくりができそうなコレクティブハウスはとても魅力的です」

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「おはよう」「ただいま」のある家で暮らしたい!!
●広野さん(40代中野在住・医療関係に従事)
「自宅と仕事場の往復が続き、休日は疲れてひと言も話をしない生活に疑問を感じ始めました。『おはよう』『ただいま』と言って、答えてくれる環境で暮らしたいと思って。プライバシーは守りつつ、いいことも煩わしいこともあるのは承知して、コレクティブハウスを選びました」

◆「多世代の多様な人々が共に暮らす」住まいを提案!
NPO法人コレクティブハウジング社(CHC)[2001年2月〜]
「共に住む、共に生きる、共に創る」をテーマに、暮らしの中の多様なつながりによってコミュニティを育む仕組みを持つ住まいづくり・まちづくりを支援し、居住者と事業者をつなぐ。
【居住者に対して】コレクティブハウスを作る時、また入居後の自主運営を支援。
【事業主に対して】個人、企業などさまざまな事業主とパートナーシップを築き、運営をサポート。都内4カ所(日暮里、巣鴨、聖蹟桜ヶ丘、大泉学園)では、月に1回見学会を開催。現在、コレクティブハウスへの居住希望者は50人を超える。
■問い合わせ:NPO法人コレクティブハウジング社
豊島区目白3-4-5 アビタメジロ302  TEL:03-5906-5340
http://www.chc.or.jp/  Email:info@chc.or.jp

◆可能性大のコレクティブハウス!! ぜひ中野で実現を
「コレクティブハウスは、地域交流の場や町の活性化など、さまざまな可能性を秘めています。お互いが顔見知りだから、町の安全も確保できるというメリットも!! 実現すれば、中野では初めての試みとなります。不動産のプロの立場からも、魅力的なコレクティブハウスのお手伝いをぜひしたい」と松崎ハウジング・松崎大作専務。中野でマンションやアパートなどを所有する地主さん、オーナーさん。お気軽にお問い合わせください。
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■問い合わせ:松崎ハウジング
中野区上高田2-58-14 TEL:03-3385-5551
http://www.matuzaki.co.jp/

「コレクティブハウス」居住希望者が集結

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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家族のような、お隣さん。ご近所さんとも、仲よしに。わたしの時間も大切に。
同じ屋根の下で暮らしたい人たちの物語が、これから中野で始まります。

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私たちは、一緒に暮らせる賃貸集合住宅を探しています
私たちは、10世帯ほどが暮らせるアパートやマンションなどの建物を所有する中野の地主さん・オーナーさんを探しています

■暮らし方=生き方
みなさんは、今どんな人とどんな「家」に住んでいますか?その暮らしに満足していますか?独身者は通勤に便利な都内のアパートやマンションを借り、子育て真っ盛りの家族は郊外に一戸建てを購入し、夢を追う若者は手頃なシェアハウスで短期間暮らす…など。年齢、家族構成、職業によって暮らし方は人それぞれ。暮らし方は、その人の生き方に反映しているのかもしれません。

■今ふう長屋暮らし
2013年12月の昼下がり、これから暮らす「家」についてワイワイガヤガヤ話し合う男女8人。彼らは、「コレクティブハウス」というものに住みたいと願い、できれば場所は中野がいいと口を揃える。耳慣れないこの言葉……一体なんぞや。「コレクティブハウス」とは、キッチンやトイレ・浴室を備えた独立した住戸に住みながら、ともに暮らす住人と共有スペースで食事をしたり、おしゃべりしたり。たまには、地元の人たちも行き来するカフェに早変わり!!住民同士や地域の人たちが、適度に交流し、適度に距離を置きながらほどよい関係を築いていく
「家」なのだ。賃貸型集合住宅ではあるけれど、それはほんの少し前、日本のあちらこちらにあった「長屋暮らし」の現代版とでも言おうか。

■みんなで決める!!
参加者は、核家族だけの子育てや隣に住む人がだれなのかを知らないなど、今の暮らしに疑問を持った人たちだ。できれば…ご近所さんと助け合って暮らしたい、地域の人たちと挨拶を交わし、商店街のおじさんと声をかけ合う仲になりたいと願っている。「そんな人間関係、面倒くさくない?」「プライバシーは守れるの?」さまざまな疑問や不安は、住民同士が話し合って解決していく。それが、コレクティブハウスの基本!! 彼らが住む「家」では、食事やそうじ当番など約束事はみんなで決める自主運営・管理なのだ。

■女性が生き生きと
「家事の分担で、女性が自分らしく生きる」1970年代から北欧ではじまったコレクティブハウス。そのよさを取り入れながら、日本の風土に合った多様な暮らし方を提案しようと、NPO法人コレクティブハウジング社(CHC)は2000年に設立。コレクティブハウスは、新築や既存のマンション・寮を活用して、住民が住みたい空間を考えていく。「共有のテラスで花や野菜を育てたい」「図書館みたいなスペースがあるといいかも」。ほしいもの、やりたいことなど自分の意見を言いながら、他の人の要望にも耳を傾ける。住む前から話し合いを重ねて、居住希望者たちは互いの考えに納得し、折り合いをつけていく。

■一緒に暮らしたい仲間
実は、2011年夏、中野・沼袋でコレクティブハウスにふさわしい物件が見つかり、居住希望者たちは「沼袋プロジェクト」として始動した。提案した企画も通り、2013年5月いよいよリフォーム工事へ!だが、事業主の事情によって、直前でとん挫。「本当なら、年末はみんなで暮らしていたはず…」とだれもが思う。プロジェクトは「中野チーム」と名を改め、その後も月1、2回の打ち合わせをするが、思うような物件は出てこない。途方に暮れたメンバーは、CHCを介して編集部に相談を持ちかけてきた。

■実現すれば中野初!
「中野チーム」は現在12人。家族でもなく、友だちでもなく、“暮らし”でつながる仲間だという。あとは、彼らが一緒に暮らせる「家」を探すこと!! 「複数の世帯が住めるマンションやアパートがあれば、ぜひ声をかけてほしい。場所が中野ならすごくうれしい」と、沼袋プロジェクトから関わるCHCスタッフも、どうにかして支援したいと思う。不動産のプロとして松崎ハウジングも協力しようと立ち上がった。この古くて新しいライフスタイル「コレクティブハウス」が実現すると、都内で5番目、中野初の試みとなる。

コレクティブハウスに暮らしたい【中野チーム】の紹介

中野健康プロジェクト「こしだ歯科シリーズ⑧」

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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「骨太の治療」をめざすこしだ歯科医院。これは、何年経っても痛みや炎症が起きないように配慮した治療のことをいいます。今回は、昨年11月に初来院した眞辺美希さん(29歳)のお話を伺うことに。眞辺さんの当時の様子や治療の経過を軸に、越田先生が行っている「骨太の治療」をご紹介します。

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この先生なら、任せていいと思った(眞辺さん)
痛みや炎症が起きない骨太の治療です(先生)

●眠れないほどの痛みで初来院
サンドブラストなどの作家・眞辺さんがこしだ歯科に初めて来院したのは、昨年11月半ばだった。「夜、急に左の歯が痛くなって。氷で冷やしても、市販の痛み止めも効かなくて、2日間寝られなかったんです。あまりの痛さに、こしだ歯科に駆け込みました」。かつて住んでいた自宅そばの歯科医院で治療してもらった被せ物。わずか1ヵ月後に、ポロリと取れた。仕事も忙しく、ふだんの生活には支障がなかったので、そのまま放っておいたという。歯が痛み出した時、「最初は、虫歯かな?って思ったんです。でも、前の歯医者さんには足が向かなくて…」眞辺さんは、こしだ歯科医院を携帯で探し出した。

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●任せても大丈夫!と確信した
眞辺さんの歯の痛みは、麻酔も効かないほど、神経の根の周りは異常に腫れていた。「奥に膿みがたまっていました。これは、もう一度きちんと神経を取らないと!!」と越田先生が姿勢を正すほど、眞辺さんの症状はひどかったという。「丁寧にきちんと神経を取りきれば、痛みはなくなります」と先生の説明に納得して、根管治療がはじまった。2回目の治療で痛みは引き、「この先生なら、任せても大丈夫!!」と眞辺さんは確信。年明けには、治療は終了する。

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●大切な歯を残すためにできること
ひと昔前の根管治療は、「神経を取りきるよりも、消毒さえしっかりすれば大丈夫」という説が一般的だったそうだ。一方、先生は、神経を取りきれれば、健康な歯と同じ機能を取り戻せる治療を行っている。そのためには、経験や技術の精度を上げ、複雑な神経網をイメージできる想像力も不可欠だ。「歯を抜くしかない」と歯科医に言われれば、患者さんはそれを受け入れるしかない。そんな現状を見聞きするたびに、「自分の治療を多くの人に知ってもらい、できる限りみなさんの大切な歯が残るようにしてほしい」と先生は切に願う。たとえ今、症状が出ていなくても、丹念に神経を取りのぞくこと。そして、何年経っても痛みや炎症が起きないようにするのが「骨太の治療」。越田先生の挑戦はこれからも続く。
☆長期間放置すると極端に治りが進まなかったり、症状によっては治療しきれない歯もあります。

●春から1階に移動します!3月中にリニューアルオープンです!
中野区沼袋2-30-6 Kビル2F ※西武新宿線沼袋駅から徒歩3分
TEL03-3387-4188 www.koshida-shika.com
【診察】9:30~12:30/15:00~20:00
※月・水は22:00まで 土は15:00まで診療
【休診】日・木・祝※予約優先
www.facebook.com/koshidashika

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特集その2 おこのみっくす編集部随一の不摂生男・藤原秋一編集長がたたく、健康への扉

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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酸素カプセルの部屋の巻

ひとりの男の身に起こったドキュメントストーリー。語るにあたって、まず言っておきたい。これは、ガチでノンフィクション、1ミリも脚色を加えていない正真正銘の実話である——。
短い睡眠時間・慢性的な運動不足・蓄積され続けるストレス・深酒・ヘビースモーカー・バランスのバの字もない欲望まみれの食事・自堕落過ぎる……。ありとあらゆる不健康ワードの称号を手にし、しかも全く改善しようとも思わず今まで生きてきた不摂生のカタマリのような男・それが我がおこのみっくす編集部を束ねる藤原秋一編集長(58歳)その人だ。かつて新聞記者として激動の昭和の波に揉まれてきただけに、これまでの生き様は“物書き屋”としては至極当たり前の環境だったのだろう。しかし、時代は変わったのだ。喫煙場所もめっきり減った。ここでひとつ、己の身体について考えてみようじゃないか……なんて殊勝なことを考える筈もなく、遂に鉄槌がくだされた。それは、今にして思えば心優しい神様が与えてくれた「自分を見つめ直す期間」だったに他ならない。すっかり前置きが長くなってしまったが、2013年に藤原の身に起きた一連の流れをかいつまんで以下に。

1.異変
風薫る5月、いつものことながら藤原の身体は低調だった。それに加え、なんだか片方の耳の聞こえが悪くなったような気がする…。耳垢が溜まっているんだろうか、シャワーの水が入ったままなんだろうか。はじめは軽く受け止めていた。だって、調子が悪い身体には慣れっこだったから。

2.発病
疑問から確信へ。右耳がおかしい。大きなノイズ音とひどい耳鳴りがして、5月15日、近くの耳鼻科へ駆け込んだ。医師の口から放たれた恐るべきひと言…「突発性難聴の可能性があります」。たまにアーティスト等が発病を告白しているこの病、発症から3日以内にステロイド剤を投与すると治療効果が高いらしいけど、耳に異変を感じてから既に1〜2週間経っているのだ…。とりあえず、処方してもらった薬を飲んで様子を見ることにした。

3.絶望
再び同じ耳鼻科へ。最悪だ。さらに聴力が落ちている。紹介状を書いてもらい、5月22日、ついに大学病院の門を叩いた。若い医師の見立てでは、突発性難聴または急性低音障害型感音難聴。どちらかはまだ断定できないとのこと。前者なら、初期のステロイド治療を逸してしまったため回復の可能性は低い。後者ならステロイド以外の治療薬が有効かもしれない。——いずれにしろ、現状維持がいいところなのか? 「急にもっと聞こえが悪くなったらすぐにステロイド剤を投与したほうがいいかもしれない。その時は駆け付けてください」と言われ病院を後にした。なんてこった。

4.再び絶望
5月24日、その日は突然きた。右耳はほぼ聞こえない。厚い膜に覆われているようだ。すがる思いで大学病院に電話し予約を取り付けた。3日後、「なるようになるさ!」と開き直ったつもりで検査に臨んだが、意外にもまだ右耳の聴力は残存しており、徐々に徐々に右肩下がりに悪化しているグラフが画面上に。医師としては、ガクンと聴力が落ちて「治る見込みなし」と告げるほうが簡単だったかもしれない。しかし、何とか首の皮一枚つながって死刑宣告はまぬがれた。

5.停滞期
死刑宣告なんて大げさな…と人は思うかもしれないが、物書き稼業を続けてきた藤原にとってはまさに死活問題。“人の話を聞くのがメシの種”なのだから。ある企業の社長取材では、「藤原さん、インタビューのスタイル変えたの?随分と人の話をよく聞くようになったじゃない」と言われ、苦笑するしかなかった。「よく聞こえねーからジッと耳を傾けるしかねぇんだよ!」と心の中で悪態をついたことは想像に難くない。どんな目上の取材相手でも、話を遮り好奇心の赴くままに内容を掘り下げ膨らませていく取材スタイルこそが真骨頂と思い込んでいる。難聴は編集部も震撼させた。ただでさえ地声が大きいのが輪をかけて…。「機嫌悪くわめき散らす」という表現が的確な、(周りにとって)超・暗黒の時期。

6.きっかけ
7月2日、中野区の中小企業診断士の先生に、「中野東部にある酸素カプセルのヒーリングオフィス責任者と会ってくれないか」と持ち掛けられる。酸素カプセルと言えば、2002年W杯直前に骨折したベッカムが驚異の治癒力を発揮したことで有名になった。欧米諸国では医療機器として認知されているが、日本では気圧差で法律や基準が異なり誰でも入れるただの健康機器という位置づけらしい。件の責任者は、どうすれば広く酸素カプセルの良さを知ってもらえるか考えた中で、おこのみっくすの力を借りたいという話だった。しかし、忙しさにかまけ、運命の出会いまでにその後1カ月以上も要することになる。

7.出会い
8月19日、整体師で酸素カプセルオフィス責任者の女性と初対面。妙齢の美女・Aさんは、藤原を見るなり開口一番「目がすっかり充血して肩がすぼまって背中が丸くなっています。苦しくないですか?体調についていつでもご相談くださいね」と。酸素カプセルのPRについて相談に乗るはずが逆に心配されてしまったが、柔らかで上品な物腰のAさんを前にすると、うっかり悩み事をすべて吐露したくなる衝動にかられた。Aさんに酸素カプセルについて話を聞くうち、耳の聞こえの悪さにイラつきながらも「ひょっとして耳に効くかも?」と閃くものがあった。しかし、そのまま時間が流れ2カ月を経て…。

8.光明
10月24日、前述の診断士の先生に引っ張られ、遂に酸素カプセルに入ることになった。確かに、PRするには自分で体感するのが手っ取り早い。「耳がもっと悪くなったら…」という怖さがあったが、Aさんの微笑みを前に沈黙。宇宙カプセルのような機器に身を横たえた。緊張した。気圧の変化による耳抜きもうまくできるか不安だった。…が、結果的にいつの間にか熟睡していた。背中がホカホカと心地よく深い眠りにいざなわれたようだ。Aさんは笑って答えてくれなかったが、大イビキが酸素カプセル越しに漏れ聞こえていたらしい。第一印象は「自分の身体に合っているのかも?」だった。その4日後、大学病院で検査すると、これまで右肩下がり一方の聴力がわずかながら回復しているではないか!?驚きを隠せない医師に酸素カプセルでの一幕を語ったところ、「処方する薬を飲んで酸素カプセルも続けてみて」とのこと。この若い医師は高圧酸素治療の文献も相当数読み込んでいたらしい。

9.確信
それから12月27日までの間に、計9回酸素カプセルに入った。週に一度入りたいところだが、仕事上なかなかそうもいかない。ちょっと間が空くと、Aさんから励ましのメールが届く。メールの内容は後述するが、この酸素カプセルの部屋に通うにつれ、Aさんの誠実さと人をいたわる気持ちが身に染みる。彼女が毎回切々と語るのは「酸素カプセル頼みでは体調は良くなりません。姿勢を正して自分自身で良くなるよう身体に働きかけなくてはなりません」。酸素カプセルに入る前に、整体指導を受ける。家庭でできるポーズを教えてもらい、毎朝実施するようになった。しかも、朝食に気を遣うようにもなった。朝っぱらからコッテリとしたコンビニ弁当を食らっていたあの藤原が、うどん半玉におろし生姜とネギをたっぷり入れたりして…なんかのテレビ番組じゃないけど、恐るべき劇的ビフォーアフターである。58歳にして、やっと健康への扉をノックしたのだ。
——酸素カプセルのヒーリングオフィスはシステムを組みなおす時期に差し掛かり、また2月末まではすでに予約でいっぱい! 読者の皆さんにご迷惑をかけるかもしれず、敢えて連絡先は伏せておくこととした。次号以降、赤裸々にその姿を見せてくれるに違いない。ご期待あれ!

■追記
藤原の右耳は良くなり続けている。中国針や漢方薬にもお世話になりつつ、酸素カプセルを中心に回り始めたライフスタイル。健康体を取り戻すためにありがたく続けていく心づもりだ。本誌発行の直後、1月20日に大学病院へ行く。嫌でたまらなかった聴力検査の結果が楽しみでならないと言う。次号おこのみっくすマガジン(3月中旬発行)で明らかにしよう。(冨澤結子/記) ひとりの男の身に起こったドキュメントストーリー。語るにあたって、まず言っておきたい。これは、ガチでノンフィクション、1ミリも脚色を加えていない正真正銘の実話である——。

 

藤原が受けた、酸素カプセルの部屋・Aさん名言集(メールより抜粋)
◇身体は、天に借りた修理困難なレンタカーのようなもので、不整備や無理をすれば走らなくなります。
◇意識の中で自己管理の比重は仕事と同様でなければ身は持ちません。壊したら使えない。それが現実ではないでしょうか。
◇人間と酸素の付き合いは薬の歴史よりはるかに長く、身体に無理がありません。
◇背中が丸いだけで肺活量(酸素量)は半減します。
◇寸暇を惜しんで身体のメンテナンスに勤しんでいただきたいのです。生きることはいつでも命がけ。
◇「面倒」と思う気持ちが、筋肉をしぼめ命を縮めます。

 

「身体にいいよ」と家族や知り合いから教えられた健康知恵袋! また、ご自身で実践している・体験した健康の秘訣! どんな些細なことでも構いません、おこのみっくすにお教えください! みんなで分かち合い、心身ともに健康になりましょう!!
例えば……●咳止め ●喉の痛み ●風邪 ●花粉症 ●水虫 ●鼻づまり・鼻水●頭痛 ●食べ過ぎ ●食欲不振 ●しもやけ ●切り傷 ●打ち身・捻挫・突き指 ●むくみ ●目の疲れ ●肩こり・腰痛 ●足がつったとき…などのツラさをやわらげる・快方に向かわせる民間療法や治療室、究極の癒しまでドシドシお寄せください!(いくつでも大歓迎。匿名可)

【情報はコチラまでお願いします!】
■E-Mail ⇒ oconomixmag@f-staffroom.co.jp
■FAX  ⇒ 03-5340-3969
■ハガキ ⇒ 〒164-0013 中野区弥生町4-34-8 東京・インテックスビル2F おこのみっくすマガジン編集部宛

特集その1 ダンス教師・高橋さん夫妻の場合

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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痛みのない体に戻して、体も心も、リセットしよう!

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「ここは痛いですか?」「はい、だいじょうぶです」。平日の昼下がり、からだ回復整体 東京中野院に通う 橋澄子さん(87歳)と院長の曽根聖さんの会話は、ゆっくりと続く。数日前、買い物カートを引いて左ひじを痛めた澄子さん。「治るまで、カートを引くのはやめましょうね」と曽根先生の言葉で、施術が終わった。「やぁやぁ、こんにちは!寒いですね」入れ替わるように、ご主人の 橋昭三さん(85歳)がやってきた。
3年前、脳の病気を患った昭三さんは、1年間寝たきり生活だった。少しずつ回復したものの、千鳥足のようにふらふらして真っ直ぐに歩けない。ダンス歴70年、ダンス教師として第一線で活躍していた自負もあった。「格好悪くて、杖なんて使いたくない!!」。いつか行ってみようと保管していた、からだ回復整体のチラシ。初来院は、2012年7月だった。
「今までいろいろな病院に通って治療を受けましたが、足のふらつきは変わらなくて。でも、こちらに通うようになってから、まっすぐ歩けるようになったんですよ!!」と昭三さんの話は止まらない。ダンスも再開。いつも笑って過ごせることが、何よりうれしい。

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一方、お尻から足先にかけての激痛でほかの治療院に通っていた澄子さん。ご主人がどんどん元気になっていくのを見て、「私も行ってみよう!!」と一昨年11月にからだ回復整体へ。「歩くこともままならず。でもこの通り!」と軽やかに歩いてみせる。「話をしっかり聞いてくれるから、安心。アドバイスもちゃんと守っています」と曽根先生への信頼は厚い。現在、ふたりで定期的にメンテナンスに通う。
痛みやしびれの症状は、その部分が悪いのではなく、全身骨格バランスが崩れた結果。身体のゆがみが原因で、症状が出てしまうケースが圧倒的に多いという。これらは、身体が発するSOS信号!! 原因を正しく見極めて、全身骨格バランスを痛みやしびれのない元の状態に戻せば、改善の可能性が広がる。そのためには、間違った身体の使い方や生活習慣を見直し、曽根先生がアドバイスする自宅で簡単にできるセルフケアを続けること。根本的に改善するには、とても重要だと曽根先生は考える。

 

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それにしても、1日平均10人の施術を行い、多忙の曽根先生。疲れはないのですか?「まったくありません。みなさんが改善する姿をみて、逆にパワーをいただきますから!」からだ回復整体は、小学生から高齢者まで幅広い年齢層に利用されている。人生のさまざまな先輩からアドバイスや教訓を得ることも多く、学びの日々。また、 橋さん夫妻をはじめ、顔晴るシニア層のみなさんから元●と感動をもらうことが多いという。「歳のせい」だからと諦めずに、健康で豊かな毎日を過ごしませんか?

 

●からだ回復整体の3つのこだわり
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1.根本的改善へ導きます
2.問診と検査で原因究明を
3.生活習慣の改善をサポート!
ゆっくり体を伸ばして、歪みを確認。手足や首をやさしく動かし回して、全身の歪みをほぐしていく。歪みを正して、痛みのない体に戻す「リセット療法」は、もんだり、ポキポキ鳴らしたり…強い刺激を与えることは一切ない。正しい姿勢と正しい呼吸方法によって、施術を受ける方の負担が最小限。体も心もリセットし、みんなを健康に、笑顔にするからだ回復整体だ。

 

【整体記録ノート】
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「左の肩が上がるようになった」「首の痛みが軽くなった」。施術を受ける人は、体の変化や今の状態を書き込む「整体記録ノート」を毎回渡される。骨盤のねじれや股関節の状態など曽根先生からの記入後、ノートはファイリングされ、大切な情報は蓄積される。文字に書き残すことで、「自分で治そう」とする意識が高まり、自己治癒力が身についていく

 

からだ回復整体 東京中野院
TEL03-5942-9941
■料金:初回6,000円(初見料1,000円含む) 2回目以降5,000円  ※民間療法のため、保険適用外です
■中野区野方1-5-3ヴァンクレールOOKI2F
エレベーターで2階へどうぞ!
■9:00〜19:00※お仕事帰りの方、ご相談を
■土曜定休※日曜祝日も営業しています
http://nakano.kaifuku-seitai.com/

午年は健康第一に!…特集「なかの健康ライフ」

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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2014年は、午年にちなんで!?
なんてったって、健康が一番!!

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昨年7月、おこのみっくすマガジンは、中野の「食」を読者のみなさんとともに楽しもうと、「美味いっぴん食べ歩きラリー」をスタートしました(まだまだこれから、みなさん一緒に「食」を極めましょう〜!!)。そして、2014年は「食」に加えて、「健康」にも着目することに!! 毎日を健やかに過ごすためにできることはないか…、できれば、病院や薬に頼るだけでなく、ふだんの生活で気をつけることを教えてもらい、自然治癒力とやらも高めてみたい。改めて、健康について読者のみなさんと考えるきっかけに、第1弾!「なかの健康ライフ」を企画しました。
トップバッターは、おこのみっくすマガジン発刊とともに歩んでこられた「からだ回復整体 東京中野院」をご紹介。中野・野方に開院して3年半、曽根院長の思いや利用者さんへのインタビューも!! そして、中野東部にある酸素カプセルのヒーリングオフィスでは、あの不摂生のカタマリのような編集長・藤原(58歳)が、人生初の健康ライフを実践中です。一体、藤原の身に何が起こったのか!? 自分から健康になりたい人の背中をそっと、グイッと押してくれるはずです。
また、おこのみっくすWEBでは、健康にまつわる読者アンケートも実施します。とっておきの治療や癒やし、はたまた、田舎のおばあちゃんに教えてもらった「二日酔いの朝は、梅干のお茶がよく効く」「肩こりがひどい時は、足の裏のこの辺をマッサージしている」など、みなさんが日頃から実践している民間療法や快適な睡眠を約束する体操、リラックスウォーキングまでどんな内容でもOKなので、ぜひご協力のほどお願いします。

健康な2014年こそ、みんなで馬(美味い、上手い、旨い)年を満喫できるはず。
馬には乗ってみよ、人には添うてみよ。おこのみっくすも読んでみよ!!

特集その1
ダンス教師・高橋さん夫妻の場合

特集その2
おこのみっくす編集部随一の不摂生男・藤原秋一編集長がたたく、健康への扉

ファンシーボックス’77とコラボ(第2回)

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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まもなく創業100年! 大成食品株式会社

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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大成食品株式会社 が歩んできた
Hundred Years

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今や世界各国でブームを巻き起こしているラーメン。その、ラーメンという料理を100年近く支えてきた会社が中野の誇る東京製麺本舗・大成食品株式会社。創業は大正6年(1917年)で、あと3年でちょうど100年を迎える。代表を務める鳥居憲夫社長に、「今までの100年」と「これからの100年」について聞いた。
The History -歩み-

大成食品は、初代の祖父から脈々と受け継がれ、現在3代目。かつて、横浜で書生をしていた祖父が、書生仲間の中国人から製麺技術の手ほどきを受けたのが、鳥居家とラーメンを強く結びつける起点となった。当時は資金がなく屋台を引っ張っての営業。初めて出店したのは荻窪で、中華料理屋をオープンした後、粉問屋の「鳥居商店」、戦後には中野に移動して「大成軒製麺所」、そして昭和36年(1961年)に「大成食品」と変遷を重ねてきた。今では一日5万食・150種類以上の麺を製造し、多くの繁盛店を含む全国500軒以上もの店舗にラーメンの命である麺を届けている。

TORIISM -トリイズム-

これから迎える新しい100年に向け、人材育成にも取り組む大成食品。製麺技能士の資格を持つ鳥居社長のもう一つの顔は、「鳥居式らーめん塾」の塾長だ。まずカリキュラムに組み込んだのは、ラーメン店という一国一城の主になるための「覚悟作り」。ラーメンの作り方は言わずもがな、経理面や店を持つことに対する細かなノウハウまで伝授してくれる。これまで100人ほどが塾を巣立って行ったが、卒業後も味のコンサルタントをはじめ相談事には親身に乗る。ある1期生にジャカルタに店舗を出したいと打ち明けられた時には、大成食品として出資を検討。インドネシア視察も敢行した。「これから注目されるのは若手。お客様の目線でモノを考えている勉強熱心な若手がいっぱいいて楽しみ」と顔をほころばせた。塾生に慕われ取り巻く人々を魅了してやまない鳥居社長に、最後に質問を投げかけてみた…「鳥居社長にとってラーメンとは何ですか?」。その答えは、「たかがラーメン、されどラーメン」

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これまでの 100年 、これから迎える新しい 100年

Smile みんなの笑顔
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鳥居社長が常にスタッフに発信している経営理念、それは『お客様の笑顔を創り続ける』こと。『あなたの笑顔がわたしの幸せ』を原点に、「商品を買ってくれるお客さま、原料を納入してくれる協力会社、そして仲間同士など、大成食品の周りにいる人たちはすべてお客さま。お客さまが笑顔でいられるために何ができるかを考え続けることが重要」と語る。月に一度開催される工場直売麺市場で大好評なのが、直売限定商品の生パスタ。ソース類も豊富に取り揃え、イタリアンコーナーとして賑わっている。昨年12月の直売麺市場には、「毎月楽しみでしょうがない」「いつも1ヵ月分をまとめ買いしています」という大勢のお客さまの笑顔でいっぱいだった。
大成食品では、中華麺だけでなく生パスタとうどんの製造も始めた。どちらも試作を繰り返し、商品化までに数カ月を要した。特にうどんは小麦粉・食塩・水のみを使用するごまかしがきかない商品だけに製麺技術の腕の見せ所だ。毎週土曜日、新たにうどん直売コーナーを設置したが、その美味しさへの中野区民の反応は素早く、いつも2時間程で売り切れてしまう。それでも「まだ納得していないんですよ。もっと小麦粉本来の味や香りが強い、他にないようなうどんを完成させたい」と鳥居社長。美味しさへの欲望、お客さまを喜ばせたいという願望に終わりはない。

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工場直売麺市場 毎月第3日曜日10:00~16:00

豚と鶏 上海麺館
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昨年9月にリニューアル。豚だし・鶏つけ麺が新しい
■中野区中野5-63-4
■03-6379-9640
■平日11:00 ~ 15:00、17:00 ~ 23:00 土曜11:00 ~ 17:00
■日曜定休


つけ麺発祥の地・中野

麺彩房  中野本店
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■中野区新井3-6-7 
■03-3386-2327
■11:00~15:00、17:30~20:30(スープが終了次第閉店)
■月曜定休(祝日の場合は営業、翌日休み)

 

大成食品株式会社
■中野区新井2-20-9 ■03-3386-5636 ■本社直売所営業時間10:00 ~ 17:00
【麺の停車場 楽麦舎】毎週土曜11時~生うどんを直売(新井3-6-7 ※麺彩房に隣接)

美味いっぴん食べ歩きラリー第4弾始まる!

| カテゴリー Vol31, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2014-01-14

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美味しいモノを食べて歩いて、
中野の食を満喫できるは、美味いっぴんラリーだけ!

目指せ “ 中野王 ”!うまにゃん番付!台紙でも開始!

今まで、スマートフォンだけのお楽しみだった、ラリーメニューを食べれば食べるほど “ 食の達人度 ” が上がる『うまにゃん番付 』。好評につき、ラリー台紙にも導入しました! 参加者の皆さんは、今まで通り、ラリーを巡ってシールを集めるだけで OK です。メニューの実食数に応じて、各称号の証(あかし)である「うまにゃん番付缶バッチ」を贈呈します。また、スイーツラリー、ワンコインラリーをそれぞれをコンプリートすると、全店制覇の証「コンプ缶バッヂ」もプレゼントします!  そして、美味いっぴん倶楽部では、番付上位の方々を対象にした、とっておきのプレゼントやイベント等々計画中ですので、ぜひ沢山のシールを集めて、“ 中野王 ” を目指してください!

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中野のイケてる麺食いラリー(美味いっぴんサイトへ)

ウチの一押し肉料理ラリー(美味いっぴんサイトへ)

ファンシーボックス’77とコラボ(第1回)

| カテゴリー Vol30, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2013-11-12

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70’sは新しい!中野から世界へ カルチャー創造計画始動!

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今も流行の先端をゆく1970年代テイスト
2013年秋、中野にオフィスをかまえる2人のクリエーターが70年代テイストの様々な最新カルチャーを集め、世界に向けて発信する新たなプロジェクトを開始した。映像プロデューサー・放送作家の吉田稜と、プランニングディレクターの大塚ユウコはともに東京出身、40代半ば。子供の頃に見た70年代当時の最先端を行くファッションや音楽、アニメやコミックなどのカルチャーが現在もなおアレンジされ息づいていることを知るバブル世代だ。
「懐かしくもあり、新しくもある70年代テイストを一堂に集めたら何か新しいカルチャーを見つけられるかもしれない」ふとした雑談の中で浮かび上がったアイディアが、その後の半年にわたる調査と研究、様々な仲間集めを経てできたのが、新プロジェクト「ファンシーボックス‘77」である。

‘昭和の街’中野ならではの地域ブランドを生み出す!
吉田と大塚は、大規模な再開発で生まれ変わりながらも「昭和の街」としての懐かしい文化の香りが残る中野だからこそ発想できたプロジェクトだと言う。1970年前後にサンプラザやブロードウェイが登場した中野は当時の若者文化の中心地のひとつ(※1)であった。「この街にはまだまだ新しい流行を生み出す力があるはず。それには中野らしい独特のテイストが必要。70年代テイストはすでに流行カルチャーの定番ジャンルのひとつだが、中野という地域の特徴と結びつくことで、今までになかった新しい文化のタネになる」そう語る2人は、まず情報発信ツールとして「ファンシーボックス‘77」のホームページを立ち上げた。今後は中野とその周辺エリアを中心とする地域で様々なヒトや企業などとのコラボを計画。懐かしグッズの現代版アレンジの商品の開発や、ソノシート盤レコードの復活など、いくつものオリジナルプロジェクトを計画している。
区内で活動するクリエーターたちによる70年代テイストを活かした中野発のオリジナル地域ブランドの創造に、今後も期待したい。

 

ファンシーボックス‘77
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現代の視点で見てもシャープな斬新さを放つ1970年代テイストを、ヒト、モノ、カルチャーなどのジャンルで再発見し発信していくプロジェクト。
語尾の「‘77」は、当時流行したタイトルのつけ方にちなんだもの。コラボしたい個人・企業・団体のみなさんを広く募集中。
詳細はホームページで→http://fancybox77.com