[マガジンVol23]坂上とコーヒーの42年 若い夫婦と子どもが暮らす町へ

| カテゴリー Vol23, おこのみっくすマガジン | 投稿日時 2012-09-20

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中野坂上について語る
坂上とコーヒーの42年
若い夫婦と子どもが暮らす町へ
ユー・コーヒー 平本 汎さん(70歳)

■プロフィール
1941年、熊本県生まれ。大学卒業後、上島珈琲本店に入社。1970年、業務用卸売のコーヒー焙煎専門商社としてユー・コーヒーを立ち上げた。日本初のコーヒー豆現金問屋・卸センターを開設。ホテル、レストラン、喫茶店のほか全国約500店へコーヒー豆を卸す。コーヒーとともに生きて48年。東京喫茶技術専門学院の講師も務める

【ユー・コーヒーはうす】
中野区本町中央2-8-3B1F   TEL 03-3363-5386

  中野坂上駅A2出口から数十歩のところに「ユー・コーヒー」はある。1階はコーヒー豆の焙煎工場、地下の喫茶はサラリーマンやOL、近所の憩いの場としてにぎわっている。社長の平本汎さんは、ここに会社を設立して42年目。坂上で働き、家族とともに暮らしてきた平本さんに、坂上のいま昔を語ってもらった。 

 中野坂上に、知る人ぞ知る名物おやじがいる。コーヒー豆の専門商社を営む平本汎さんは、コーヒー人生ひとすじ48年。熊本県八代市で生まれ育った電気屋の三男坊は、大学卒業後ひょんなことから上島珈琲本店に入社。初めての東京、初めてのコーヒーに魅了され、支店長を務めるほど仕事はおもしろかった。29歳で独立。土地勘もあり、かつての社員寮にほど近い中野坂上で会社を設立した。

ユー・コーヒーは、創業間もないファミリーレストランにコーヒー豆を卸す一方で、喫茶店やレストランなど顧客は全国300店にまで広がった。10年後ファミレスから方向転換、業界での生き残りをかけて新しいシステムをスタートさせた。それは、コーヒー豆の注文を受けて宅配便で配達、商品は代金と引き換えという「現金販売と配送システム」だ。しかも、通常価格より700~1,000円(1蝳あたり)引きで提供した。万事に保守的といわれたコーヒー焙煎業界では画期的な出来事! 当然、風当たりは強かったが、「安くておいしいコーヒーを」消費者へ提供することが自分の使命と思い、ひた走ってきた。

中野坂上一帯は、戦前までは大きなお屋敷が立ち並ぶ高級住宅街だった。ユー・コーヒー創業時の1970年代、木造2階の家々や商店街とお屋敷が混在する町並みで、「それはそれで風情があったよ」と当時を懐かしむ。1990年代後半から中野坂上駅周辺には、20階、30階とオフィスビルやマンションが次々と建ちはじめた。昼間の人口は増えたが、土日は生活感のうすい閑散とした空気も感じるという。町内会費を払いたくないというマンション住民も増えた。「みんなで住んでいる町だから、協力しよう!」と平本さんは根気強く理解を求めていった。

結婚は遅かった。待望のひとり娘は、近所の宝仙学園の小学校に通った。娘をはじめとして、子どもたちにもっと社会を知って欲しいと、新聞社発行の子ども向けの写真ニュースを購入して週に一度校内の掲示板に貼ってもらった。それは、娘が小学校を卒業してからも数年間続けたという。現在、嫁いだ娘は、近所に住み、もうすぐ小学生になるかわいい孫もいる。父親、祖父と年を重ねるたびに、改めて町について考える機会が増えた。「なんとかして人が住む町、若い夫婦や子どもたちが暮らす町にしていかないと…」。氷川神社例大祭の準備の手を休めて、平本さんはつぶやいた。この町を若い世代につないでいきたいと心から願っている。

▲ユー・コーヒー創業時の坂上の様子。「木造の建物が多く、のんびりとした町だった」と平本さん。道路は山手通り、現在の住友中野坂上ビルあたり。オープンしたてのコーヒーショップ第一号店(写真は、平本さんよりご提供)

▲「こんな大きなビルが建つとは思わなかったよ」と山手通りを前に。中野には中野坂上という地名はなく、現在の中央1・2目、本町1・2丁目あたりをさす。中野坂上、坂上は通称

▲工場地下にある喫茶「ユー・コーヒーはうす」では、ホテルやレストラン向けの最高級コーヒーを卸価格で販売!